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アート志向の高いインテリア小物やメンズライクな日用品など、個性ある商品を求めやすい価格で作り続ける日本メーカー〈PUEBCO〉。代表の田中裕高さんは2007年に〈PUEBCO〉を立ち上げ、鳥の装飾品や古書の形をした小物入れ、ノマディックベッドや工業デザインのグローブなど、男性目線で日常生活がより楽しくなるような商品を展開しています。マス向けの安価で一般的なデザインの商品が増える現代においてどのようにその独自のスタイルを築いてきたのか、お話を伺いました。

「アメリカに行けるぞ」の一言で、
メーカーへの就職を決意。

—まずは〈PUEBCO〉設立の経緯から教えてください。

〈PUEBCO〉を始める前にものを作る企業に12年間務めていました。20代をその会社で過ごし、自分がある程度できそうだと思えたのがモノ作りだったというのが正直なところです。小さい頃からモノ作りが好きとか、クリエイティブなことに感心があったなんてことは全くないんですよ。美術大学を出たわけでもないし、僕は高卒ですから。前の会社に入ったのも、当時、親しくしていた先輩から『会社がお金を貸してくれてアメリカに行けるぞ、行くか?』と誘われて、『行きます』と言ったのがきっかけでした。

—もともとアメリカに興味があったんですか?

僕の小さい頃は「外国=アメリカ」でしたからね。とにかく憧れが強かったわけです。行ってみたいけれどお金がない。会社に入るとお金を貸してくれてアメリカに行って、帰国後、そこで仕事をすればいいと。その代わり5年間は辞められないという条件で入ることにしました。

アメリカでの1年間は語学留学という名目でした。その間に「こういうサンプルを集めて」という仕事があるかもしれないとの話でしたが、実際は3回ぐらいでしたね。アメリカに行って影響を受けたのは「考え方」です。いろんな人種の人がいて文化が混ざっている。そのためルールを細かく決められない一方で、場合によっては細かくルールを決めなくてはいけないこともある。その合理性がダイナミックだと感じました。システマティックなのにすごくゆるいところもある。そういう部分に器の大きさを感じたんでしょうね。

モノ作り、カタログ作り、営業。
トータルに仕事を学んだ20代。

—会社に5年以上いる契約だったわけですが、実際には12年間働かれたということは、仕事が面白かったわけですよね。

面白かったですね。前の会社の社長の考え方に強く影響を受けました。言葉で説明するのは難しいですが、大きくは、何のために仕事をするのかという生き方の本質的なことに気付かされた気がします。

実際の仕事としては、最初は小間使いから始まり、後半は商品やカタログを作って管理職的な立場にもなりました。カタログのための写真も自分で撮っていましたね。十数年前は生活雑貨業界でカタログをしっかり作る会社は少なかったんですよ。オーダーを受けられればいいという考え方で、カタログそのものでイメージを高めるスタイルは少なかった。それを前の会社で僕がやり始めたと思っています。商品数もかなり多くて約6800SKU。3万枚ぐらいの写真を撮っていましたね。プロのカメラマンに撮り方を教わったりしながら独学で。20代後半にはカタログ作りも営業もやっていたので50日間連続で会社に泊まったこともあります。ベッドと洗濯機を会社に持ちこんで、しまいには屋上にジャグジー風呂を付けてもらいたいと会社に交渉したところ、OKが出たこともありました。結局僕しか使う人がいないのと、費用に600万円ぐらいかかるので止めましたけどね。

コンテナいっぱいの鳥から、
〈PUEBCO〉事業は始まった。

—それらの経験があって、ご自身でモノ作りの会社を立ち上げるわけですか?

2006年の6月か7月に会社を辞めて、年内は、自分が何をしたいか、何だったら仕事になりそうかを考える時間にしました。それが見つからなかったら、いまのようなモノ作りの商売ならある程度できるかもしれないと思っていました。ただ、前の会社と同じ商売はしたくなかったんです。社長には大変お世話になったので、結果的にライバルになるのが気持ちよくなかったから。ただ、モノ作りから外れることは考えませんでした。海外にもリサーチに行きましたね。結局、雨具や文房具の専門店というように、何かに特化した店は自分にはできないと考えて、前の会社とは少し違うカタチで、いろいろなものを取り揃えるメーカーをやろうと決めました。

—予算が限られる創業当時は多くの商品を作ることは難しいと思います。どのような商品から事業を始めたのでしょうか。

最初に作ったのが鳥のシリーズとキャンドルです。候補はたくさんありましたが、お金がないのでいろいろは作れない。鳥はなんとなく売れそうだなと。もうひとつは同じお店で取り扱ってくれないと効率が悪いので、キャンドルだったらやってくれるかなという考えでした。

—最初にどれぐらいの量を作ったんですか?

工場で作るロットはかなりの量で、コンテナで買わないといけないんです。鳥が最初にコンテナで入ってきたときは「本当に入ってきちゃったな、どうしよう」という気持ちでした。実は、売り先をまったく決めていなかったんですよ。営業しないと売れないと思って、鳥を鞄につめてバイクでお店をまわりましたね。ただ、いろんな店に売るのも面白くないので、30店ぐらい売りたい店のリストを作って、そこに行く途中にも面白そうな店があれば飛び込みで営業をしていました。1日に2軒というルールを決めて、40日間ぐらい続けましたかね。

—そして、鳥シリーズは人気アイテムになるわけですよね?

おかげさまでなりましたね。でも、最初は「なにこれ、気持ち悪い。帰ってください」と言われましたよ。それでも、「これ、面白いじゃない」と言ってくれる人がいました。例えばあるお花屋さんに「ここに置いたら売れると思うからやりませんか?」と言ったら、「面白いわね、どういう感じなの?」「こうこうこうで」「じゃあ、やるわ」って。それで「置いて行きますね」とか「明日持ってきますね」という感じでした。

—かなりの量の在庫ですが、どこに置いていたんですか?

お金もないし、売り先もない。吉幾三さんの歌みたいな状況でしたから、倉庫を借りたら絶対に利益は出ない。僕は無職のときに結婚したんですけど、嫁の実家にスペースがあるということで、お義母さんにお願いして在庫を置くことを快諾してもらいました。ただ、物量のイメージができていなかったみたいです。普通の一軒家ですからコンテナはもちろん、10トントラックも付けられない。だから港で4トントラック3台に入れ替えて運びました。1台目の荷入れが済んだところでお義母さんに「終わったの?」と聞かれて「あと2台来ます」と答えたら、完全に引いていました。しかも商品について詳しく話していなかったので、届いたときに「見せてよ」と言われて、最初に荷を開いたのがカラスだったので、さらにバツが悪かったのを覚えています。


いまでは多くの商品を展開する〈PUEBCO〉も、最初は鳥の装飾品とキャンドルという2商品から始まりました。20代をメーカーで過ごし、モノ作り、営業、カタログ作りを学んだ田中さんですが、自身での創業時には、また新たな壁とリスクを乗り越えてきたことが伝わってきました。インタビュー後篇では、第三の商品作りから現在に至るまで、〈PUEBCO〉がブランドとして大切にしているマインドについてお話を伺います。

インタビュー後篇はこちらから!

(イラスト:榎本直哉)


〈PUEBCO〉のアイテム一覧はこちらから。

たなか・ひろたか

メーカーを経て、2007年に〈PUEBCO〉を創業。アート志向の高いインテリア小物やメンズライクな日用品など、個性あるアイテムを扱っている。

 

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